昭和41年8月26日 夜の御理解
【入力者: 末永 満】
現場からちょっとあれから見て頂きたいち言って私(?)参りましたから参りました。うーもう、夕方でございましたが、ある教会の先生方が二人御信者さん方二人伴うてまぁ、いろいろ(?)。まぁ、ずっとお広前から住宅の方の見てらって、(?)もんですから柿ごりどんとってあそこで(?)ですけれども。そのたん、その先生ですねもう(?)と申し上げなけれれば(?)におっしゃる。
もうとにかく(?)ふうでしておらました(?)ですね。しかしこれはまぁ私の流れとったと思ったんですけれども、思うても私が一緒にこう思うのですからね、(?)さんたいへんでしょうとかね。
えー(?)何とか言うべきですよね。それでもそれこそもう腹の立ってたまらんというごたる態度で、さーごちさんでしたと言ってからそのまま帰られましたけれども。そういう場合ですね私共普通に(?)、どうしたらいいじゃろうかと言うてから、腹かいてもまぁ(?)けれども。
今日私はそういうことに思うんですがね、あのほんとに私は思うのですね、私がおかげを頂く以外にない、もうちょっと私が(?)、もーもうちょっとじゃない、いよいよ私がおかげを頂く以外にないと。私はそう思いますですね。
例えばですからここんところの(?)ところはです、もうその先生(?)。(?)もうほんとにまぁその教えに言われても、こっちはやはり(?)じゃありません。はー、りっぱに出来よるますな、(?)とても(?)どこの教会ありませんが、何と(?)ですね、こっちも大体(?)ですけん、もうやっぱり調子に乗りたがるところですね。
そういう時に、私共はまぁいうなら悪口でも言われとるごたる気持ちでですね、きちっと(?)と同時にそれでも反対の時でもです(?)。
というような考え方ではなくてですね、私はもういよいよおかげを頂く以外にはないな、とこう頂く。私はほんとにそれをそういうふうに実感しましたですね。
ですから信心というものはもうどっちらにしてもおかげの頂けれるようにあらなければいけない。大体こう信心をまぁ薄く、薄く思ったり、または、うんー信心をぬきにしたらですね、もうとにかくこっちが腹が立つことじゃないでしょうがね。
あれをばかにした。それでからそのまぁいう、だけのことであってはもうほんとに何もならん。私そのことだからそういう(?)。あの人の例えばあの帰った、帰らっしゃるげな、(?)。
私自動車に乗って(?)と言ったら、(?)。私はこれだけ皆ちょうど(?)来とりましたから。(?)行ってから(?)丁寧に送りしとるんですからね。(?)お世話になりましたばーい言うて、行くわけですよね。
(?)こういうふうにしてから、何かまぁいうならよかんごたるふうな、そのおかしいもんですね、(?)。
ですからならそういう(?)見てから腹を立つことでしかたがない。じゃないだけではないほんとに私がおかげを頂く以外にはないんだと。いわゆる、私が本気でおかげを頂く以外にないだというような思いにさせて頂けたということはです、もう改めてそれを思うということがおかげでしょうもん。
私の気持ちの上に何とやはりちゃんとした上にちゃんとする気持ちが頂けれるのですから、どっちらにしてもお礼を申し上げるばっかりですね。どうぞ。